3.11で被災した酪農家と牛たちはその後どうなったのか

2026-03-20 配信|川上牧場 酪農データバンク

配信の全文

https://youtu.be/wK16DU0K9-A?si=m_iyd0tXEO0gL_12

3月になると、毎年どうしても思い出す日があります。

東日本大震災。

2011年3月11日。

あの日から15年が経ちました。

僕にとっても、あの日の記憶はかなり強く残っています。長男がまだ小さかった頃で、テレビでは津波の映像がずっと流れていました。

教育番組も減って、ニュースばかりになって、

「この先、日本はどうなるんだろう」

「この子たちはどうなっていくんだろう」

と、胸の奥がずっとざわざわしていたのを覚えています。

そして酪農家としても、あの日は遠い場所の出来事ではありませんでした。

餌や資材の物流が乱れる。燃料が心配になる。電気が止まれば搾乳もできない。水が止まれば牛に飲ませることもできない。

酪農という仕事は、毎日止められない仕事です。

牛は待ってくれません。

人間の都合で「今日は災害なので休みます」とは言えない。朝も夕方も搾乳がある。餌を食べる。水を飲む。糞尿も出る。子牛も生まれる。体調も崩す。

だからこそ、リスナーさんから届いたこの質問は、簡単に答えられるものではありませんでした。

「3.11で悲しいことになった牛屋さんは、その先どうなったんでしょうか?」

今日はこの問いに、酪農家として、そして一人の生活者として向き合ってみたいと思います。

あの日、酪農家と牛に何が起きたのか

東日本大震災では、地震、津波、そして福島第一原発事故が重なりました。

特に福島では、原発事故によって避難指示区域が設定され、多くの住民がふるさとを離れざるを得ませんでした。そこには当然、酪農家もいました。

でも、酪農家には人間だけではなく、牛がいます。

避難するといっても、牛をトラックに積んで、すぐ安全な場所に移せるとは限りません。大型の乳牛は1頭600kg前後あります。数十頭、数百頭の牛を一気に動かすには、車両も人手も受け入れ先も必要です。

しかも震災直後です。道路は寸断され、燃料も足りない。情報も混乱している。人命優先で避難しなければいけない状況のなかで、牛を連れて逃げることができなかった農家さんもいました。

ここは、外から簡単に「なぜ連れて行かなかったのか」と言える話ではありません。

その時、その場所にいた人にしかわからない判断があります。

命を預かる仕事をしている人ほど、牛を置いていく判断は、どれほど苦しかっただろうと思います。

その後は「ひとつの物語」ではない

「被災した酪農家さんは、その後どうなったのか」

この問いに対する答えは、ひとつではありません。

廃業した方もいます。

別の地域で再開した方もいます。

避難先で牛を飼い続けた方もいます。

ふるさとに戻って再開した方もいます。

仲間と一緒に復興牧場を立ち上げた方もいます。

同じ「被災した酪農家」でも、その後の道はまったく違います。年齢、家族構成、資金、土地、牛の状態、避難先、地域の復旧状況。いろんな条件が重なって、一人ひとり違う選択になっていきました。

たとえば、飯舘村では震災前に乳牛を育てる酪農家が12軒ありましたが、原発事故によって全員が村外に避難しました。その後、2019年に8年4カ月ぶりに酪農が再開され、避難を余儀なくされた酪農家5人が復興牧場

「フェリスラテ」の飯舘育成牧場を立ち上げています。

一方で、酪農を続けようとしたけれど、最終的に廃業を選ばざるを得なかった方もいます。浪江町津島地区のある酪農家夫婦は、事故後に牛を移動させ、仮牛舎で酪農を再開しました。しかし、赤字や風評被害、帰還の見通しが立たない現実のなかで、40年続けた酪農を廃業することになりました。

この現実を前にすると、「復興」という言葉だけでは語りきれない重さがあります。

復興した人がいる。

再開した牧場がある。

それは本当に希望です。

でもその一方で、戻れなかった人、続けられなかった人、牛を手放した人もいる。

その両方を見ないといけないと思うんです。

牛は「財産」だけではない

酪農の話をするとき、牛はよく「資産」として語られます。

もちろん経営的にはそうです。

乳牛は牧場の生産基盤です。牛がいなければ牛乳は搾れません。牛がいなければ収入もありません。牛群を失うことは、酪農経営にとって大きな損失です。

でも、現場で牛を飼っている人間からすると、牛はただの数字ではありません。

毎日顔を見る。

体調を見る。

餌の食い込みを見る。

乳房の張りを見る。

分娩に立ち会う。

子牛の成長を見る。

良い牛になったなと思う。

歳を取ったなと思う。

その積み重ねがあるんです。

だから、牛を置いて避難することも、牛を売ることも、牛を処分することも、経営判断であると同時に、心を引き裂かれるような出来事だったと思います。

牛は経営の柱であり、生活の相棒であり、家族に近い存在でもあります。

この感覚は、酪農家によって濃淡はあると思います。でも、毎日牛と向き合っている人なら、少なからずわかるはずです。

「牛を失う」というのは、単に収入源を失うことではない。

自分の暮らしのリズムを失うことでもあります。

自分が自分である理由の一部を失うことでもあります。

浪江町で始まった、新しい酪農の形

そして2026年、震災から15年という節目に、福島県浪江町で大きな動きがありました。

浪江町に整備された大規模畜産施設「シャインコーストファーム」です。

浪江町は、畜産業の再生と、堆肥・液肥や飼料作物を循環させる農業の構築を目的に、この施設を整備してきました。町の発表では、被災農地の地力回復による農業再生も目的のひとつとされています。

報道によると、浪江町では震災前に畜産農家が95軒ありましたが、原発事故などの影響で1軒にまで減少したとされています。その町で、乳牛や子牛を合わせて約2300頭規模の大規模酪農施設が開所するというのは、本当に大きな出来事です。

2026年4月10日には、完成後初めて51頭の乳牛が迎え入れられ、翌11日から生乳出荷が始まりました。今後は2000頭規模を目指して牛を導入していく予定と報じられています。

もちろん、これで全部が解決したわけではありません。

15年は長いです。

長すぎるくらい長いです。

その間に廃業した方もいる。年齢を重ねた方もいる。帰りたくても帰れなかった方もいる。地域の風景も、人のつながりも、震災前とまったく同じには戻りません。

でも、それでも、牛が戻ってきた。

生乳の出荷が始まった。

堆肥や液肥を使って、土地をもう一度よみがえらせようとしている。

これは、酪農という仕事の持つ力だと思います。

牛は牛乳を出すだけではありません。

餌を食べ、糞を出し、堆肥を生み、土に戻し、草を育て、また牛の餌になる。

酪農は、本来「循環」の仕事です。

その循環が、被災地の農地再生と結びついていく。

これはすごく大きな意味があると思います。

災害は、どこか遠くの話ではない

今回の質問に向き合いながら、僕自身も改めて考えました。

災害は、いつどこで起きるかわかりません。

地震もある。津波もある。豪雨もある。台風もある。停電もある。断水もある。物流が止まることもある。飼料が入ってこないこともある。

酪農家にとって災害対策は、「自分の命を守る」だけでは終わりません。

牛の命をどう守るか。

搾乳をどう続けるか。

水をどう確保するか。

電気が止まったとき、発電機は動くか。

燃料はあるか。

餌は何日分あるか。

道路が止まったとき、生乳はどうなるか。

子牛のミルクはどうするか。

獣医さんや授精師さんと連絡は取れるか。

考え出すと、胃がキュッとなります。

でも、考えないわけにはいきません。

3.11の経験は、酪農という仕事が「命の産業」であることを、痛いほど教えてくれました。

牛乳は、スーパーに並ぶ白い液体ではありません。

その向こうには、毎日止められない現場があります。

牛がいて、人がいて、餌があり、水があり、電気があり、物流があり、地域がある。

その全部がつながって、ようやく1本の牛乳が届いています。

「その後」を知ることは、未来を考えること

リスナーさんの質問は、とても大切な問いでした。

「3.11で被災した酪農家と牛たちは、その後どうなったのか」

答えは、ひとつではありません。

牛を残して避難せざるを得なかったケースがあった。

牛を移動させて、別の場所で続けた人がいた。

廃業した人がいた。

仲間と復興牧場を立ち上げた人がいた。

地域に牛を戻そうとしている人たちがいる。

そして今も、福島で、東北で、全国で、牛と向き合いながら生きている酪農家がいます。

この話は、悲しい話で終わらせたくありません。

でも、きれいな感動話だけにもしたくありません。

酪農は、命を預かる仕事です。

だから災害のとき、そこにはきれいごとでは済まない現実があります。

それでも人は、また牛を飼う。

また牛舎を建てる。

また土を耕す。

また牛乳を搾る。

そこに、酪農という仕事のしぶとさと、希望があるんじゃないかと思います。

牛乳を飲むことは、ものすごく小さな行動かもしれません。

でも、その1杯の向こうには、こういう現場があります。

今日、冷蔵庫から牛乳を出すとき。

スーパーで牛乳を手に取るとき。

旅行先でご当地牛乳を見つけたとき。

少しだけ、その向こうにいる牛と酪農家のことを思い出してもらえたら嬉しいです。

僕たちは今日も、牛と一緒に生きています。

災害があっても、情勢が厳しくても、燃料代が高くても、餌代が上がっても、朝になれば牛舎に行きます。

牛は待ってくれませんからね。

ということで、今日も牛乳で乾杯。

被災地で牛と向き合ってきたすべての酪農家さんに、敬意を込めて。

そして、これからの酪農が次の世代につながっていくことを願って。

いただきます。

うまい。

やっぱり、牛乳は未来につながる味がします。

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