川上牧場研修【日本における生乳計画生産を読んで】

2021-11-27 配信|川上牧場 酪農データバンク

この回の要旨

川上さんは、1991年の資料をたどりながら、牛乳が余った過去と、また余りそうな今を重ねて考えました。制度の言葉は前向きでも、現場では減産も屠畜も苦渋の選択だったこと、そして地域や消費者との「つながり」こそが安定を支えることを、繰り返し語っています。

この回の要点

  • 戦後の成長、酪農危機、生産回復、そして牛乳の過剰と、日本の酪農は同じピンチを何度も繰り返してきた
  • 資料が「自主的」「経営体質の強い酪農経営が生き残り」と書く一方、現場では減産や乳牛の屠畜という苦渋の選択があった
  • 生乳は中央酪農会議から団体・農協・農家へと割り当てられ、地域ごとの利害を調整しながら価格や数量が決まっている
  • 新規就農者は「増やしたい」「こうしたい」という希望を担当職員などに伝えておくことが、先の計画につながる
  • 予想できない災害や需要の変動に備え、地域での話し合いや消費者との関係づくりが安定を支える鍵になる

配信の全文(podyの記事より)

なぜ今、昔の生産調整の資料を読むのか

この配信は、川上牧場の川上さんが、搾乳前の休憩時間に研修生との会話をそのまま録音しているスタイルです。研修生だけでなく、酪農に興味がある人や酪農に就いている人にも、川上さんの考える酪農を伝えたいという思いで続けられています。

今回のテーマは「牛乳の生産調整」の歴史です。本来は家畜人工授精師の勉強をする予定だったのですが、募集が多くて選考から外れてしまい、別の題材として選ばれました。

家畜人工授精師 家畜の繁殖のために人工授精を行う国家資格を持った技術者のことです。酪農の現場では、牛の繁殖管理に欠かせない役割を担います。

川上 本来家畜人工授精師の勉強があったので、(研修生を)そこに連れてって、11月はその勉強をしようと思ったけど、募集が多くて選考から外れてしまったので。

なぜこのテーマなのかというと、いまの酪農の状況が過去とよく似ているからです。牛乳が余って脱脂粉乳やバターに変えても在庫が積み上がり、どうしようもなくなる。そんな状況が1月、2月ごろに一番きつくなりそうだと川上さんは見ています。

川上 牛乳が余って、それを脱脂粉乳に変えたり、バターに変えたりし、それが積み上がって、もうどうしようもないよみたいな状況が。

そこで読むのが、1991年の「日本における生乳計画生産」という資料です。これは第75回国際酪農連盟年次会議の記載をもとにしたもので、日本で生乳の生産調整が始まった歴史的な背景がまとめられています。

生乳計画生産 生乳(牛から搾ったままの乳)の生産量をあらかじめ計画して調整する仕組みのことです。牛乳が余りすぎないように、生産量に目標や上限を設ける「生産調整」を指します。

戦後の成長から酪農危機へ。牛が減った3年間

日本の酪農乳業は、戦後の経済復興と食生活の洋風化に支えられて、牛乳や乳製品の需要とともに伸びてきました。昭和41年に加工原材料乳への不足払い制度ができてからは、安定的に生産が拡大していきます。

不足払い制度 加工用の生乳の価格が生産コストを下回ったときに、その差額分を補填する制度のことです。酪農家が安心して生乳を生産できるように支える仕組みとして設けられました。

ところが昭和47年、49年と続いた世界的な穀物の不作で、餌になる飼料穀物の価格が高騰します。さらに昭和48年秋の第一次オイルショックが重なり、日本の畜産は大きな打撃を受けました。これが「酪農危機」と呼ばれた時期です。

この打撃で、酪農をやめる人が相次ぎました。資料によれば、47年から49年の3年間で酪農家戸数は約36パーセント減り、乳用牛の飼養頭数も戦後初めて減少に転じています。

酪農危機の3年間で起きた減少

約36%

酪農家戸数の減少(47年〜49年)

約5.6%

乳用牛の飼養頭数の減少(同期間)

この危機を乗り越える決め手になったのは、生乳や乳製品の価格の大幅な引き上げでした。餌などの原材料が高くなって「大変だ」とみんながやめていく中で、乳価を上げて何とか補填したのです。

資料ではこの時期を「酪農危機は一応克服された」と前向きに書いていますが、川上さんはそこに引っかかりを感じています。

川上 いい風に書いてあるけど、酪農家はめちゃくちゃこの間怒ってるんで、そりゃそうだよね。自分がそうだったらマジで怒るからね。

資料には「経営体質、生産基盤の強い酪農経営が生き残り」という表現も出てきます。これについても川上さんは、生き残れなかった人を「弱い人」だと言っているようなものではないか、と疑問を投げかけています。

景気が回復し、今度は牛乳が余りはじめる

価格の引き上げを中心とした対策で、酪農家戸数は大きく減りながらも、危機は一応克服されました。昭和50年代に入ると飼料などの資材価格も落ち着き、生乳生産は急速に回復していきます。

資料によれば、昭和51年から53年の3年間はそれぞれ7パーセント台から8パーセント台という高い伸び率で増加し、生乳生産量は500万トンから625万トンへと大幅に増えました。

ところが今度は、増えすぎて牛乳が余りはじめます。調子が良かったからこそ、需給の不均衡という新しい問題が生まれてきたのです。

川上 どんどん調子が良かったんだけど、調子が良くて、でも牛乳余ってきちゃったよ、どうするどうするみたいな話になってきた。

この深刻な需給の不均衡は、不足払い制度の根幹を揺るがしかねないものでした。生乳生産を急速にダウンさせる直接的な手段が必要だ、ということが誰の目にも明らかになっていきます。

「自主的な生産調整」という言葉への違和感

強い危機意識を持った生産者団体は、全国組織である中央酪農会議で検討を重ね、昭和54年度から国の支援も受けて生産調整(計画生産)を始めることを決定しました。資料では、これを「生産者による自主的な生産調整」と表現しています。

中央酪農会議 全国の生乳生産者団体をまとめる全国組織のことです。生乳の需給を予測し、計画生産の数量を決めるなど、生産調整の中心的な役割を担ってきました。

この「自主的」という言葉に、川上さんは強く反応しています。牛乳の生産を減らしたい生産者などいるはずがない、というのが現場の実感だからです。

川上 生産者が自主的な生産調整に入ったって書いてある。そんなことしたい生産者がいるわけないじゃん。

絶対みんな100パー絞りたかったし、全力で牛飼いたかった。 ── 川上

この計画生産には、大きな特色が2つあります。1つは、行政の指導のもとで生産者団体の自主的な行動として始まり、やがて不足払い制度を支える根幹的な制度へと進化していったこと。もう1つは、輸入乳製品の存在を前提とせざるを得ないという、難しい問題を抱えてスタートしたことです。

バター不足のニュースと、輸入圧力という難しさ

2つ目の特色である輸入乳製品の問題は、いまも身近なところに顔を出します。畜産振興事業団が供給の逼迫時に輸入するバターや脱脂粉乳だけでなく、調製食品などの形で輸入される乳製品も相当の量にのぼっていました。

川上さんは、クリスマスや年末に「バター不足」のニュースが流れ、緊急輸入されるのを例に挙げます。国内でもバターを作っていますが、需要が集中すると足りなくなる。ここで大事なのが「安定」だと言います。

スーパーに商品がずっと安定して並んでいることは、食品を扱ううえですごく大切なことです。一度なくなって安いバターや代替品に置き換わってしまうと、元に戻らなくなってしまうからです。

では足りなくなったら外国から買えばいい、とはなりません。一度買うと「また買えよ」「この前譲ったんだから今度は買ってよ」といった圧力がかかる、と川上さんは指摘します。

川上 この前緊急の時に買って譲ってあげたんだから、うちが今ちょっとやばいから買ってよみたいな圧力とかがかかったりするわけですよ、外国からね。

ニュージーランドやオーストラリア、アメリカ、カナダなど、輸出したい国はたくさんあります。国内の生産基盤が弱ったり不安定になったりすると、そこにすぐ入ってこられてしまう。だからこそ安定的に計画的に生産できることが本当は一番いいのだと話しています。

農家が搾って出荷するまでに、どれだけの調整があるか

スタート当初の計画生産は、何段階もの割り当てを経て現場に届きました。中央酪農会議が全国の需給量を予測して供給計画量を決め、それを都道府県ごとの指定生乳生産者団体、農協、そして個々の生産者へと順に割り当てていきます。

生乳計画生産の割り当ての流れ

中央酪農会議

全国の需給量を予測し、生乳供給計画量を決定する

↓

指定生乳生産者団体

都道府県ごとに数量を割り当てられる

↓

農協

傘下の団体から数量を割り当てられる

↓

個々の生産者

農協から数量を割り当てられ、超過にはペナルティも

農家からすれば「搾って出荷する」という単純な行為ですが、その裏にはこれだけの流通の調整があります。川上さんは、牛乳の流通がいかに考え抜かれているかがわかる、と話します。

もう1つ大事なのが、これが「単年度」の計画だったという点です。1年だけで均衡を図るのか、中期・長期で図るのかによって、農家に求められるやり方はまったく変わってきます。

川上 100キロ減らしましょうみたいなことを3年間でやろうと思ったら割る3でいいけど、1年でやったら1年でやらなきゃいけないから、それだけ牛を減らさなきゃいけない。

地域ごとの利害と、酪農家同士の本音

昭和55年度以降は、中央酪農会議の需給委員会が需給量を予測し、指定生産者団体会長会議で供給計画量を最終決定するプロセスになりました。そこでは、過剰在庫の処理、生乳生産の安定、輸入乳製品の位置づけの3点が常に焦点でした。

苦渋の議論の末に決まった計画量は、生産者にとって厳しいものでした。計画実施直前の3年間の平均伸び率が7.7パーセントだったのに対し、決定された計画は前年比マイナスやわずかなプラスにとどまり、実質的に強い抑制がかかったのです。

さらに難しいのが、地域ごとに利害が違うことです。ここは川上さんが「めちゃくちゃ大事」だと強調した部分です。

資料の例では、東京という巨大な消費地を抱える関東圏は、独占できれば生産の抑制はほとんど必要ありません。一方で北海道は消費地から遠いものの、大きな生産力と低いコストを武器に、生乳の広域流通を望んでいます。地域によって望むものがまるで違うのです。

本来なら、多く搾った人がいれば誰かが減らし、減った人がいれば誰かがフォローする、という助け合いの関係が望ましい姿だと川上さんは言います。けれど現実には利害がぶつかります。

川上 うるせえ、俺はもう搾るよ。儲けたいんだよ、借金あるんだよ、わかってんだろつって絞る人もいれば、みんなで頑張ろうやっていう人もいるし、いろんなことがありますよ。

あいつが悪い、こいつが悪いって、酪農家同士で言い合ってもどうしようもない。 ── 川上

担い手として「増やしたい」を伝えることの大切さ

割り当ての方式も、時期によって変わってきました。厳しい減産を強いられる時期は過去の実績シェアで機械的に割り当てる色が強くなり、減産が緩和された時期には各地域の潜在生産力や現場の希望が重視される傾向がありました。

ここで川上さんは、新規就農を目指す研修生に向けて語りかけます。研修生もまた「潜在的な生産者」ですが、その存在を知っている人はまだ多くありません。

だからこそ、自分がどうしたいのかを伝えておくことが大事だと言います。メガファームを作りたい、六次化してみたい、増やしたい、減らしたい。そうした気持ちを担当職員などにポロッとでも伝えておくことが、先の話につながるのです。

六次化 農業者が、生産(一次)だけでなく、加工(二次)や販売・サービス(三次)まで手がけて付加価値を高める取り組みのことです。1×2×3で「六次産業化」と呼ばれます。

川上 だから川上さんに言わないといけないんだよ。私はメガファーム作りたいですって。

認定就農者になったり借り入れをしたりすると計画を出すことになるので、後から「勝手に増頭しないで」と言われても「計画を出したじゃん」と言い返せる、というのが川上さんの考えです。今のクラスター事業でも、増やすと決めているのに急に頭数を下げろと言われるのはおかしい、そこは厳しく言ってもいいと話しています。

計画を守るための手段。そして牛が屠畜された年

計画生産の目標数量内に生産を抑えるには、まず現場の酪農経営の段階で出荷量を割り当ての範囲まで抑える必要があります。当初は廃業する農家の実績を他の農家に配分することで団体単位で数量を守っていました。

しかし厳しい減産が求められる年には、それも限界に達します。各農家ごとの出荷数量の割り当てと、超過へのペナルティが導入され、最終的には割り当てを超えた生乳の受け入れを団体が拒否するという、強制的な抑制まで行われました。

川上 絞った多い分は出荷しません、収入しませんよっていうことはあった。今じゃ考えられないでしょ。

いま当たり前に出荷できるのは、みんなが努力して作ってきた取り組みの結果であって、当たり前ではない。川上さんはそう念を押します。

抑制の裏付けとして、乳牛の屠畜奨励金も支出されました。厳しい減産が行われた昭和61年度には、この制度によって2万8000頭の乳牛が屠畜されています。

川上 自分の大事な牛だった時もあったんじゃないかな。きついよね、これで。読むだけでもきつい。

全乳保育と余乳処理。牛乳を市場から遠ざける方法

もう1つの方法が、超過した生乳を市場から隔離することです。その1つが「全乳保育」で、搾った生乳の一部を子牛の保育用に振り向ける方法です。農林水産省も奨励し、助成事業として奨励金が出されました。

川上さんは研修生に、全乳保育の問題点を問いかけます。粉ミルクでの保育はしたことがあっても、全乳での保育は経験がないからです。

Q

全乳で保育したらどういう問題があるでしょう。

川上 さんからの質問

A

回答

問題は成分の安定です。バルク(貯乳タンク)の乳成分は季節などで大きく変わり、小さな農家ほど、冬は乳脂肪が高く夏は下がるといった差が出ます。市販のミルクは成分が安定していますが、全乳だとそのばらつきがそのまま子牛に出てしまいます。さらに、パスチャライザー(殺菌機)がないと品質が落ちやすく、置いておくだけでも劣化するという難しさもあります。

バルク 搾った生乳を冷やして一時的にためておく貯乳タンクのことです。農家では、ここにたまった生乳をまとめて出荷します。

もう1つが「特別余乳処理」で、超過した生乳を乳製品に委託加工して市場から隔離する方法です。中央酪農会議が管理して需給を見て処分しますが、多くは飼料用などに安く販売され、生乳価格としては極めて低いものになりました。

川上 余ったから別の用途で使っていってっていうことだけど、なんかこれって違うんじゃねえかなと思ったりします。

需要は上下する。締めの一文への違和感

安定した計画生産の努力で、過剰在庫は昭和57年に解消されました。ところがその後は飲用牛乳の需要が低迷し、昭和60年度には伸びがマイナスに転じて、再び在庫の増加と価格低下を招いてしまいます。

そこで昭和61年度、62年度は前年比でマイナス3.6パーセント、マイナス2.6パーセントという厳しい減産が実施されました。すると今度はその効果と需要増が重なり、62年度の下半期には一転して需給が逼迫します。

急にひっ迫したため、中央酪農会議は年度の途中で「特別調整乳」という名称で供給計画量を追加配分して対処しました。減らしたり増やしたり、対応が目まぐるしく揺れ動いています。

川上 マジちゃんと考えてんのかって思うぐらい。だけどそれだけ難しいんだよ、乳牛の流通ってね。

資料の締めくくりでは、計画生産は需給安定に不可欠な制度だとしつつ、生産者の間には、厳しい計画生産にもかかわらず乳製品の輸入は増え、乳価の改善につながらないという不満が高まっている、とも書かれています。

そのうえで資料は「計画生産自体の有効性、重要性を否定するものではない」と結んでいます。この締め方について、川上さんは「私は関係ねえよ」という言い方に見える、と受け止めています。

同じピンチを何度も繰り返している。だから今できること

今年もまた似たような状況になりそうだ、と川上さんは感じています。昭和60年代は35年ほど前の話で、まだ半世紀も経っていないのに、その間に何度も同じピンチを繰り返している、という印象です。

だからこそ川上さんは、酪農家が全体でつながっていることを意識してほしいと言います。生産する農家、指定団体、流通がすべてつながっている。ガンガン搾って儲けようとしても、どこかで余れば結局は自分の首を絞めることになるからです。

ガンガン儲けたらどっかで余っちゃって、結局自分の首絞めちゃうわけだから。 ── 川上

自身の経験も語られます。農大にいた20歳ごろ、牛乳が余って農家にバターや脱脂粉乳が配られたり、配合飼料が値上がりして子牛が千円払って引き取ってもらったりする様子を見ていました。当時バイト先の農家がその背景を丁寧に話してくれたから、今の状況も理解できると言います。

一方で、何も話してくれない社長のもとで、いきなり「今日から出荷を減らす」と言われたらどう感じるか。一生懸命に増やしていい牛を作ろうとしていた従業員は、納得できないはずだ、と川上さんは想像します。

では今できることは何か。川上さんは、地域で話し合うことの大切さを挙げます。仲間としっかり連絡を取り、どう対策していくかを考える。井戸端会議でも飲み会の話でもいい、情報交換も1つの対策だと言います。

川上 地域で話し合うのが大事だと思うよ。仲間とかとね、連絡しっかりとってね、どうやってしていこうか、どうやって対策していこうかって。

いまはSNSも当たり前になっています。かつては中国地方など、自分の地域のことだけを考えていればよかったかもしれません。けれど農家戸数が減り、メガファームが増えたいま、状況は大きく変わっています。

病気の発生や、台風・地震といった災害はしょっちゅう起きます。予想できないことが起こるからこそ、みんなで助け合っていかなければならない、と川上さんは締めくくります。

消費者との関係にも触れています。商品がないときに「こういう状況なので我慢してくださいね」と言えるような関係でないと、需給のバランスは崩れてしまう。コロナで学校給食の牛乳が止まったとき、SNSで牛乳を飲もうと応援してくれた消費者のような、応援してくれる人を増やさないといけないと話しました。

まとめ

川上さんは、1991年の資料をたどりながら、牛乳が余った過去と、また余りそうな今を重ねて考えました。制度の言葉は前向きでも、現場では減産も屠畜も苦渋の選択だったこと、そして地域や消費者との「つながり」こそが安定を支えることを、繰り返し語っています。

  • 戦後の成長、酪農危機、生産回復、そして牛乳の過剰と、日本の酪農は同じピンチを何度も繰り返してきた
  • 資料が「自主的」「経営体質の強い酪農経営が生き残り」と書く一方、現場では減産や乳牛の屠畜という苦渋の選択があった
  • 生乳は中央酪農会議から団体・農協・農家へと割り当てられ、地域ごとの利害を調整しながら価格や数量が決まっている
  • 新規就農者は「増やしたい」「こうしたい」という希望を担当職員などに伝えておくことが、先の計画につながる
  • 予想できない災害や需要の変動に備え、地域での話し合いや消費者との関係づくりが安定を支える鍵になる