R7年研修生と配信 #44
2026-02-22 配信|川上牧場 酪農データバンク
配信の全文
https://youtu.be/sIbJL0hJ2v0
「かわいそう」の先にあるもの。動物愛護と酪農現場がすれ違う理由
おはようございます。
今日も研修生さんが来ておりますので、一緒に勉強しながら配信をしていこうと思います。
収録日は2月12日。
今回は、最近SNSで実際に起きていることをテーマに、かなり大事な話をしてみたいと思います。
1月3日に、子牛の逆子の出産動画をいろんなSNSに上げました。
すると、想像以上に多くの反応がありました。特にInstagramやXでは、いわゆる動物愛護の観点からのコメントもたくさん届いています。
しかも、動画はいまだに伸び続けています。
おそらくリール動画のアルゴリズムに乗って、普段は酪農や畜産に触れていない方にも届いているんだと思います。
それ自体は、発信としては面白い現象です。
でも同時に、現場の人間としては考えさせられることも多い。
今日はその「すれ違い」について、研修生さんの感覚も交えながら整理してみたいと思います。
牧場に来る前は、牛は「経済動物」ではなく「ただのかわいい動物」だった
まず面白かったのが、研修生さんの感覚です。
牧場に来る前は、牛も豚も鶏も、ほとんど「食べ物を作る存在」として見たことがなかったそうです。
動物園にいる動物みたいに、「かわいい」「めでたい」という感覚の方が強かったと。
これ、現場にいると意外と忘れがちなんですよね。
僕らは毎日牛と向き合っているので、牛はかわいい存在であると同時に、生活を支える経済動物でもあります。
命であり、資産であり、家族のようでもあり、仕事の相手でもある。
この感覚が当たり前になっています。
でも、牧場の外にいる人からするとそうじゃない。
だから、出産で子牛を引っ張っている映像を見たときに、
「かわいそう」
「乱暴に見える」
「頭を打ちつけていて危ない」
そう感じるのも、ある意味では自然なんだと思います。
知らないから、そう見える。
これは責める話ではなく、まずそういう前提があるんだと思っています。
切り取られた映像だけでは、現場の判断は伝わらない
今回の動画でも、「コンクリートに頭を打ちつけている」というコメントが来ました。
たぶんそのコメントをした方は、本気でそう見えたんだと思います。
そして本気で、「下にクッションを敷くべきだ」と思っているんだと思います。
でも現場からすると、そこだけ切り取って言われても困る部分があります。
そもそも介助しなければ、もっと危険な状態になることもある。
人が手を貸さなくても、牛は自然に頭を打つこともある。
そして出産は、のんびり理想通りに進むものばかりではありません。
助けるか、助けないか。
待つか、介入するか。
その判断は、目の前の母牛と子牛の状態を見て、現場で一瞬一瞬決めています。
SNSではその文脈が全部消えます。
結果だけ、数秒だけ、見た目だけで判断される。
ここに、すごく大きな断絶があります。
「かわいそう」と言うのは簡単。でも、その先まで引き受ける人は少ない
ここでいつも思うことがあります。
もし本当に動物福祉を高いレベルで実現したいなら、当然コストは上がります。
設備も必要です。土地も必要です。時間も必要です。人手も必要です。
つまり、全部お金がかかる。
では、その負担を誰が引き受けるのか。
そこまで含めて議論されることは、正直かなり少ないです。
たとえば鶏の話でもそうです。
ケージ飼いはかわいそうだ、平飼いにすべきだ、という議論はよくあります。
たしかに動物福祉の観点だけを切り取れば、その方向は理解できます。
でも一方で、卵が少し高くなるだけで「高すぎる」とニュースになるのが今の日本です。
1パック100円台の卵に飛びつく消費行動をしながら、
「もっと福祉的に」
「もっと丁寧に」
「もっと理想的に」
と言うのは、やっぱりどこかで矛盾が出てきます。
牛乳だって同じです。
酪農家にだけ理想を背負わせて、消費の場面では安さを最優先する。
この構造が変わらない限り、現場だけに正しさを求めても、議論は前に進みにくいんですよね。
日本のアニマルウェルフェアが遅れて見えるのは、単純に「スタート時期」が違うから
研修生さんとも話したんですが、日本のアニマルウェルフェアが海外に比べて遅れているように見えるのには、背景があります。
ヨーロッパでは、工業的な畜産が先に進み、その反動として動物福祉の議論が強くなっていきました。
一方、日本は食料をとにかく増やさないといけない時代が長く続いた。
人口が増え、国土は狭く、生産性を上げることが最優先だった。
だから、つなぎ牛舎やケージ飼いのような仕組みも、
「まずは安定供給のために必要だった」という時代背景があるわけです。
しかも日本は、海外のように大資本で完全工業化された畜産構造とも少し違う。
農協や地域の仕組みの中で、個々の農家が支える形で続いてきた。
この構造の違いも大きいです。
つまり、日本だけが特別に遅れているというより、
「進み方の順番が違った」
という方が実態に近い。
だから今後、消費者の認識が変わり、情報が浸透し、価格への理解が進めば、日本も少しずつ変わっていくはずです。
実際、現場はもう変わり始めています。
正義感だけでは、命も現場も守れない
最近では、動物園でホッキョクグマが麻酔中に亡くなったニュースでも、かなり強い批判が起きていました。
もちろん、悲しい事故です。
怒りたくなる気持ちもわかる。
でも一方で、麻酔というのは人間相手でもリスクがある。
牛でも除角のときに麻酔事故は起こりうる。
まして熊のような大型野生動物なら、なおさら難しい。
しかも精液採取や繁殖管理をしなければ、種の保存そのものが成り立たないという事情もある。
それでもSNSでは、背景より先に感情が走る。
「かわいそう」
「人間の都合だ」
「やらなければよかった」
でも、現場はその一言で済むほど単純じゃない。
命を扱う現場というのは、理想だけで回らないんです。
不毛な議論を終わらせるために必要なのは、敵味方を作らないこと
僕は、動物愛護の考え方そのものを否定したいわけではありません。
むしろ、現場もずっと考えてきました。
牛にとってどうか。負担を減らせないか。もっと良くできないか。
そんなことは、毎日牛を見ている人間ほど考えています。
だからしんどいんです。
「そんなの分かってるよ」ということを、まるで何も考えていない人間に向けるみたいに言われると。
しかも、その人たちが本当に対話したいなら、
「私はこう見えて不安だったのですが、現場ではどういう判断なんですか?」
と聞くはずなんです。
でも実際には、そうじゃない。
言いたいだけ。
自分の中の正しさを吐き出したいだけ。
そう感じる場面も少なくありません。
研修生さんが言っていたんですが、これは謝罪にも少し似ていると。
「ごめんなさい」と言うことで、自分の気持ちを軽くしているだけのことがある。
コメント欄で「かわいそう」と書くのも、それに近いのかもしれない。
自分の中のモヤモヤを吐き出して、少し楽になるための行為。
でも、現場はその一言では変わらない。
むしろ、そこで思考が止まってしまう。
それでも発信を続ける理由
とはいえ、僕はこういう反応があるからこそ、発信には意味があるとも思っています。
牧場に来たことがない人が、牛の出産を見る。
現場の判断に違和感を覚える。
そこから調べたり、考えたり、質問したりする。
その入口としてSNSが機能するなら、それは悪いことじゃない。
ただ、そこで止まらないでほしい。
「かわいそう」で終わるんじゃなく、
なぜそうしているのか。
他に方法はあるのか。
もし変えるなら、誰が何を負担するのか。
そこまで一緒に考えてほしい。
酪農も畜産も、理想論だけで守れる世界ではありません。
でも、現実だけを理由に開き直っていい世界でもない。
だからこそ、現場は現場なりに考え続けています。
最後に
動物が好き。
だからかわいそうだと思う。
その気持ちは、たぶん間違いじゃないです。
でも、その感情だけで現場を裁こうとすると、どうしても見えなくなるものがある。
命を守るための介入。
産業として続けるための構造。
価格に反映されない理想。
そして、毎日現場で牛と向き合っている人間の葛藤。
このあたりが、もう少し伝わる社会になってほしいなと思います。
不毛な議論を減らしたい。
そのためには、現場が黙るんじゃなくて、ちゃんと話すしかないんでしょうね。
今日はそんなことを、研修生さんと一緒に考えた配信でした。
https://note.com/kawakamifarm/membership/join?preview=true
https://note.com/kawakamifarm/n/nb863584c2103
https://note.com/kawakamifarm/n/ndf5ea5a0bd27
https://note.com/kawakamifarm/n/n2c2f4763349b
https://note.com/kawakamifarm/n/nbf0a8d7a7a3e
🐄📚『川上牧場研修〜牛群検定の見方編〜』Kindleで絶賛発売中!📘
全ての酪農に興味がある方へ🐮数字で牛の声を聞こう!👇
https://www.amazon.co.jp/dp/B0FBQWGSK6?ref_=cm_sw_r_ffobk_cso_cp_mwn_dp_OG0HE9XLF0OG3VDSF69D&bestFormat=true
https://lit.link/kawakamifarm