R7年研修生と配信 #32

2025-12-10 配信|川上牧場 酪農データバンク

配信の全文

https://youtu.be/lKIbGT7-3yE

11月26日。

朝の空気はひんやりとしていて、牛舎の中でも冬の気配を感じるようになってきました。この日は研修生が来ており、作業の合間に一緒に話をしながら、いつものように音声配信の収録を行いました。特別なイベントがあったわけではありません。普段どおりの牧場、普段どおりの仕事、その延長線上で交わされた会話です。

ただ、研修生から出てきた話題は、ここ最近、私自身もSNSを眺めながら考え続けていたテーマでした。

それは「牛を“守る”という行為は、どこまでが正解なのか」という問いです。

牛カフェ、保護牛、クラウドファンディング、牛の愛護。

一見すると、どれも牛にとって良いことのように見えます。しかし、酪農の現場に立ち続けている立場から見ると、どうしても簡単に肯定できない違和感が残ります。今日はその違和感を、研修生との対話を通して整理してみたいと思います。

牛を「守る」という活動は、誰のためのものなのか

研修生が話してくれたのは、SNSで見かけた事例でした。

搾乳を終えた高齢の牛や、肉用として価値がつきにくい牛を「保護牛」として育てる取り組み。あるいは、牛と触れ合えるカフェを作り、クラウドファンディングで資金を集めながら牛を飼い続ける活動。黒毛和牛でも肉質が評価されにくい牛を、あえて安価で仕入れ高付加価値で販売するために育て直すケースもあるそうです。

研修生はこう言いました。

「良いとは思うけど、人の命につながらない形で殺すくらいなら、安価でも売ったほうがいいのかな、とも思います」

この感覚は、とても正直だと思います。

命を無駄にしたくない、できるだけ生かしてあげたい。その気持ち自体を否定することはできません。

一方で、私は酪農家として、別の角度からこの問題を見ています。

SNSとクラウドファンディングが生んだ「新しい畜産の形」

ここ数年で、畜産のやり方は確実に多様化しました。

SNSが普及し、クラウドファンディングという仕組みが一般化したことで、個人が直接お金を集めて牛を飼うことも可能になりました。

コロナ禍では、飼料価格の高騰によって経営が立ち行かなくなった牧場を「助けよう」という動きも広がりました。その中で、従来とは異なる飼い方をしていた人たちが、クラウドファンディングで資金を集めるケースも目立つようになりました。

応援する人がいて、お金が集まり、それで経済が回るのであれば、ひとつのビジネスモデルとして成立しているとも言えます。

しかし、私が気になっているのは、その「継続性」です。

続かなくなったとき、牛はどうなるのか

クラウドファンディングや寄付、サブスクリプションで牛を飼う取り組みは、どうしても不安定になりがちです。

最初は共感や話題性で支援が集まりますが、時間が経つにつれて支援額が減り、最終的に「飼えなくなりました」と手放すケースも実際に起きています。

そのとき、「保護している」と言っていた牛はどうなるのでしょうか。

結局、行き場を失い、最初と同じ結末を迎えることもあります。

私は、これを「牛のため」と言い切ってしまっていいのか、どうしても疑問が残ります。正直に言えば、人間側のエゴが強く入りすぎていると感じる場面も少なくありません。

やるのであれば、感情だけでなく、経営として成立させる覚悟が必要だと思っています。

経営の中で命を支えるという考え方

私自身が考えているのは、別のアプローチです。

もし牛乳の取引価格が2倍になれば、農家の経営には余裕が生まれます。

その余裕の中で、各々の酪農家が各自の判断の上、搾乳を終えた牛や、経済価値がつきにくい牛を飼い続ける活動ができれば、多くの人が無理なく幸せになれるのではないか、という考えです。

つまり、「特別な牛」にだけ支援を集めるのではなく、普段の酪農経営がきちんと成り立つこと。その延長線上に、保護やケアの選択肢があるべきだと思っています。

ただし、これは簡単な話ではありません。

消費者が牛乳を飲むとき、牛の姿を思い浮かべることはほとんどありません。だからこそ、牛単体へのクラウドファンディングのほうが、気持ちとしては分かりやすく、応援しやすいのも事実です。

法律と防疫という、見えにくい現実

もうひとつ、現場の人間としてどうしても触れておきたいのが「法律」と「防疫」の問題です。

牛はペットではありません。

日本では、牛を飼う時点で家畜としての届出が必要になります。

「ペットとして飼います」という選択肢は存在しません。

これは、家畜伝染病が発生した場合、日本全体の畜産が壊滅的な影響を受けるからです。

もし一頭でも重大な伝染病が確認されれば、日本は「清浄国」としての認定を失い、数年間、乳製品や肉の輸出ができなくなる可能性があります。その影響は、想像以上に大きなものです。

そのため、飼料にも厳しいルールがあります。

牛には「A飼料」と呼ばれる、牛専用に分類された飼料しか与えてはいけません。他の動物と同じ空間で飼うことも、現在の法律では問題になる場合があります。

SNSで見かける「動物園のような牧場風景」が、必ずしも現行の法律や防疫の考え方と一致しているとは限りません。この点について、応援している側も含めて、もう少し知ってほしいと感じています。

「かわいそう」と「守る」の間で揺れる気持ち

もちろん、私も牛はかわいいと思います。

特に子牛は本当に愛らしく、感情が動かされる存在です。研修生との会話の中でも、ジャージー種のオス子牛の話が出ました。

体が小さく、肉用としての価値が低いため、最終的にはミンチ用になることが多い現実があります。

その現実を前に、「かわいそうだ」と感じる気持ちは自然なものです。

だからこそ、クラウドファンディングで支援したいと思う人の気持ちも理解できます。

ただ、私はその気持ちと同時に、

「その選択が、長期的に牛と畜産を守ることにつながるのか」を考え続けています。

正解はひとつではない

この話題に、明確な正解はありません。

命をどう扱うかは、人それぞれの価値観によって答えが変わります。

私は、畜産の可能性を狭めたくはありません。

牛カフェのような取り組みが、多くの人に牛を知ってもらうきっかけになることも事実です。

一方で、業界の内側にいる人間として、守るべきルールや前提があることも伝えなければならないと感じています。

愛護と経営、そのどちらか一方に振り切るのではなく、両立の道を探る。その模索こそが、これからの畜産に必要なのだと思います。

だから、この話を共有しました

今回、研修生との配信でこの話をしたのは、「どちらが正しいか」を決めたかったからではありません。

現場で牛と向き合っていると、SNSで見える世界と、日々の現実との間にギャップを感じることが増えてきました。

そのギャップを、少しでも言葉にしておきたい。

考える材料を、外に投げておきたい。

そんな思いで、この話を共有しています。

読んだ方それぞれが、自分なりに考えてもらえたら、それで十分です。

牛を守るとは何か。命と経営をどう両立させるのか。

その問いは、これからも簡単には答えが出ないと思います。

今日は、研修生との対話を通して、そんな「答えのない問い」を改めて考えた一日でした。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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