牛乳を捨てるくらいならチーズにすればいい?実は簡単じゃない酪農の現実
2026-05-18 配信|川上牧場 酪農データバンク
配信の全文
おはようございます。
川上牧場の川上です。
今日は、リスナーさんからいただいた質問に答えていきたいと思います。
質問は、こんな内容でした。
「コロナ禍で学校給食が止まって、牛乳廃棄が問題になった時に、チーズにして保存すればいいのでは?と素人ながら思っていました」
これ、ものすごく多くの方が思った疑問だと思います。
当時、SNSでもよく見かけました。
「捨てるくらいならチーズにすればいいじゃん」
「バターにすれば保存できるのでは?」
「加工すれば無駄にならないのに、なぜやらないの?」
たしかに、消費者目線で見ると自然な疑問です。
牛乳は日持ちしにくい。
チーズやバターは保存できる。
だったら余った牛乳を加工すればいい。
一見、とても合理的に見えます。
でも、酪農や乳業の現場から見ると、これがなかなか簡単ではありません。
今日はその理由を、できるだけわかりやすくお話しします。
まず、チーズやバターに「全く回していなかった」わけではない
最初に大事なことを言うと、コロナ禍で余った牛乳を、チーズやバター、脱脂粉乳などの加工品に回す動きは実際にありました。
なので、
「何もせずにただ捨てていた」
というわけではありません。
現場も乳業メーカーも、行政も関係団体も、できる範囲で必死に調整していました。
ただし問題は、
全部は加工に回せなかった
ということです。
ここがポイントです。
牛乳は、余ったからといって、翌日から全部チーズになるわけではありません。
なぜなら、牛乳はただの液体ではなく、毎日決まった流通の中を動いている生鮮食品だからです。
日本の牛乳流通は「飲む牛乳」が中心に作られている
日本の酪農は、基本的に「飲用牛乳」、つまりそのまま飲む牛乳を中心に流通が組まれています。
学校給食。
スーパー。
コンビニ。
カフェ。
パン屋。
外食。
病院や施設。
宅配牛乳。
こうした場所に、毎日牛乳が届く前提でシステムが動いています。
特に学校給食は大きいです。
毎日、決まった量の牛乳が、決まったルートで、決まった時間に届けられる。
この流れに合わせて、酪農家も、集乳車も、乳業工場も、物流も動いています。
そこに突然、コロナ禍で学校給食が止まる。
飲食店も止まる。
観光も止まる。
ホテルも止まる。
すると、牛乳の行き場が一気に減ります。
ここで多くの方が、
「じゃあチーズ工場に持っていけばいいのでは?」
と思うかもしれません。
でも、そう簡単にはいきません。
チーズ工場は急に増えない
一番大きい理由は、加工工場の能力です。
チーズやバターを作るには、専用の設備が必要です。
牛乳を運ぶタンク。
受け入れるタンク。
殺菌設備。
乳酸菌や酵素を使う工程。
水分を抜く設備。
成形する設備。
熟成する設備。
保管する冷蔵庫。
出荷する物流。
これらが全部必要です。
チーズは、牛乳を鍋に入れて固めれば完成、というものではありません。
家庭でカッテージチーズのようなものを作る感覚とは、産業としてのチーズ製造は全く違います。
しかも、熟成チーズになれば、作った後に何週間、何ヶ月も保管する必要があります。
つまり、
「今週牛乳が余ったから、来週全部チーズにしましょう」
という世界ではないんです。
チーズ工場には、もともとの製造計画があります。
原料乳の受け入れ量も決まっています。
人員も、設備も、保管場所も限界があります。
普段からフルに近い状態で動いている工場に、急に大量の牛乳を持ち込んでも、処理できません。
これは冷静に考えると、どの産業でも同じです。
たとえば米が余ったからといって、明日から全国の米を全部せんべい工場に持ち込んでも、せんべい工場は処理できません。
野菜が余ったからといって、全部冷凍食品にできるわけでもありません。
加工には加工の設備と時間と人が必要です。
牛乳は「用途ごと」に流れが違う
もう一つ大事なのは、牛乳には用途ごとの流れがあるということです。
飲用向けの牛乳。
バター向けの生乳。
脱脂粉乳向けの生乳。
チーズ向けの生乳。
ヨーグルト向けの生乳。
同じ牛乳に見えても、工場も物流も契約も違います。
どこの地域の生乳を、どこの工場が、どの商品に使うのか。
これは普段からかなり細かく組まれています。
だから、学校給食が止まったからといって、飲用向けに流れるはずだった生乳を、すぐにチーズ向けに全部振り替えることはできません。
生乳は毎日出ます。
そして腐りやすい。
「来月まで待ってから加工します」
はできません。
今日搾った牛乳は、今日動かさなければいけません。
ここが酪農の難しいところです。
牛はスイッチで止められない
そして、酪農家として一番伝えたいのがここです。
牛乳は、工業製品ではありません。
工場なら、需要が落ちた時に生産ラインを止めることができます。
在庫が積み上がれば、来週の生産を減らすこともできます。
でも牛は違います。
牛は毎日乳を出します。
そして毎日搾らなければいけません。
「今日は需要がないので、牛乳を出さないでください」
とは言えません。
搾らなければ、牛は乳房炎になる可能性があります。
乳房が張って痛みます。
健康を損ないます。
つまり、需要が急に止まっても、牛乳の生産はすぐには止まりません。
ここが、酪農と他の産業の大きな違いです。
牛乳は命から出てくるものです。
だから、社会の需要が急停止した時、現場では本当に難しい調整が必要になります。
チーズにすれば量が消える、というわけでもない
さらに、意外と知られていないのが、チーズの歩留まりです。
ナチュラルチーズを作る場合、ざっくり言うと、牛乳10kg前後からできるチーズは約1kg程度です。
つまり、牛乳を大量に処理するには、ものすごい量のチーズを作る必要があります。
そして作ったチーズは、今度は売らなければいけません。
ここも大事です。
「チーズにすれば保存できる」
たしかに保存性は高まります。
でも、保存できるからといって、無限に在庫を抱えられるわけではありません。
保管場所が必要です。
冷蔵コストがかかります。
熟成管理が必要です。
賞味期限もあります。
そして、最終的に買ってくれる人が必要です。
コロナ禍では、家庭用の乳製品需要は一部伸びました。
でも一方で、外食やホテル、業務用需要は大きく落ちました。
チーズを大量に作っても、それを誰が、いつ、どれだけ買うのか。
ここまで考えなければいけません。
牛乳が余った問題は、単に「加工すれば解決」ではなく、
加工した先の商品をどう売るのか
という問題でもあったんです。
バターや脱脂粉乳にも限界がある
「チーズが無理ならバターにすれば?」
という声もありました。
これも同じです。
バターや脱脂粉乳にも工場能力があります。
在庫の保管場所もあります。
市場価格への影響もあります。
バターを作ると、同時に脱脂粉乳などの副産物も出ます。
つまり、バターだけを都合よく増やせるわけではありません。
一つの商品を増やせば、別の商品の在庫が積み上がる。
乳製品はそういう構造を持っています。
実際、現在でも脱脂粉乳の在庫問題は酪農業界の大きな課題です。
牛乳の消費が伸びない。
でも牛は毎日乳を出す。
加工に回す。
すると脱脂粉乳が積み上がる。
在庫が増える。
倉庫が苦しくなる。
価格や需給調整に影響が出る。
こうした問題は、コロナ禍だけの一時的な話ではありません。
日本の酪農がずっと抱えている構造的な課題でもあります。
「余った牛乳を捨てる」は、誰にとってもつらい
酪農家として、牛乳が廃棄されるニュースを見るのは本当につらいです。
牛乳は、蛇口から出てくるものではありません。
牛が食べる。
水を飲む。
反芻する。
体の中で乳を作る。
酪農家が毎日搾る。
集乳車が運ぶ。
工場で処理される。
お店に並ぶ。
そして誰かが飲んでくれる。
その全部の流れがあって、ようやくコップ一杯の牛乳になります。
だから、捨てるくらいなら何とかしたい。
それは現場も同じです。
むしろ、現場の方が強く思っています。
でも、思いだけではどうにもならない仕組みがあります。
工場能力。
物流。
契約。
在庫。
保管。
消費。
価格。
牛の健康。
毎日の搾乳。
それらが全部つながっているから、簡単には動かせない。
コロナ禍の牛乳問題は、単なる「牛乳が余った騒動」ではありませんでした。
日本の食と物流と酪農の仕組みが、いかに繊細なバランスで成り立っているかを見せた出来事だったと思います。
それでも、消費者の応援は本当に力になった
一方で、あの時に多くの方が動いてくれました。
牛乳を飲もう。
乳製品を買おう。
料理に牛乳を使おう。
SNSで広めよう。
アイスを食べよう。
ヨーグルトを買おう。
そうやって応援してくださった方がたくさんいました。
本当にありがたかったです。
酪農家として、
「自分たちが作っているものは、ちゃんと誰かに必要とされているんだ」
と感じることができました。
これは数字以上に大きかったです。
もちろん、消費者の善意だけに頼る仕組みではいけません。
毎回「助けてください」では続きません。
でも、牛乳の背景を知った上で、日常の中で少し牛乳を選んでもらえる。
乳製品を手に取ってもらえる。
それは確実に現場の支えになります。
これから必要なのは「飲んでください」だけではない
今も酪農業界には課題があります。
物価が上がり、家計が苦しくなる中で、牛乳を買う本数を減らす人もいます。
牛乳ではなく、少し安い乳飲料を選ぶ人もいます。
そもそも牛乳を飲む習慣がない人も増えています。
だからこそ、ただ
「牛乳を飲んでください」
と言うだけでは足りないと思っています。
牛乳の裏側を伝える。
なぜ牛乳が必要なのかを伝える。
酪農の仕組みを伝える。
牛の命から生まれる食べ物であることを伝える。
そして、牛乳を飲むことが未来の酪農を支える行動になることを伝える。
これを、もっと面白く、もっと自然に、もっと日常に届く形でやっていく必要があります。
僕自身も、音声配信、Note、公式LINE、メルマガ、SNS、そして6月の牛乳月間の企画などを通じて、少しでも牛乳に関心を持ってもらうきっかけを作っていきたいと思っています。
牛乳に興味がない人に、どうやって振り向いてもらうか。
ここが、これからの酪農にとって本当に大事なテーマです。
最後に
「牛乳を捨てるくらいならチーズにすればいい」
この疑問は、とても自然です。
そして、酪農や乳業の仕組みを知る入口として、とても大事な問いだと思います。
ただ、その答えは単純ではありません。
チーズ工場は急に増えない。
加工には設備も人も時間も保管場所も必要。
牛乳は用途ごとに流通が違う。
牛は毎日乳を出し続ける。
加工した商品にも売り先が必要。
在庫を抱えれば別の問題が起きる。
だから、余った牛乳を全部チーズにすることは、現実には簡単ではありません。
でも、この疑問をきっかけに、牛乳がどうやって作られ、どう流通し、どう消費されているのかを知ってもらえたら嬉しいです。
牛乳は、ただの飲み物ではありません。
牛の体。
酪農家の毎日。
乳業工場の設備。
物流。
学校給食。
家庭の冷蔵庫。
そして、飲んでくれる人。
その全部で成り立っています。
今日、冷蔵庫の奥からキンキンに冷えた牛乳を出して飲む。
それだけでも、酪農の現場にとっては大きな応援です。
暑い日は、冷たい牛乳が本当においしいです。
無理に1リットル飲んでくださいとは言いません。
お腹がゴロゴロする方は、ヨーグルトでもチーズでもアイスクリームでも大丈夫です。
できれば、原料に国産の牛乳が使われているものを選んでいただけると嬉しいです。
コップ一杯の牛乳の向こう側に、牛と酪農家と日本の食の仕組みがある。
そんなことを少しだけ思い出しながら、今日も牛乳を飲んでもらえたら嬉しいです。
今日も牛乳を飲んでいただいて、ありがとうございます。
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