スリック牛は冬も大丈夫?暑熱耐性のメリットとデメリット
2026-09-22 配信|川上牧場 酪農データバンク
この回の要旨
今回は、消費者の方から届いた質問をきっかけに、暑さに強いスリック遺伝子のメリットと、まだわかっていない部分を整理する回でした。スリックは「暑さに無敵の牛」ではなく、暑熱に対して有利なカードを一枚持った牛。そんなふうに捉えるのが正解だと、川上さんは締めくくっています。
この回の要点
- スリックはセネポール由来の遺伝子で、体温上昇や呼吸数を抑え、発汗量が多く、夏場の乳量低下を小さくできる可能性がある
- 冬については、短時間なら体温を保てたものの子牛で震えが多く、寒さへの負担がゼロではない可能性が示されている
- 毛が短いから虫に刺されやすいという証拠は今のところなく、むしろダニが少なかった研究もあるが断定はできない
- スリック牛でも暑い環境では体温や呼吸数の上昇が残るため、遺伝子と牛舎環境の両方を組み合わせることが大事
- 育種は一つの能力ではなく牛全体を見る仕事で、暑熱耐性も総合的な牛群改良に組み込む一つの視点として捉える
配信の全文(podyの記事より)
消費者からスリック遺伝子の質問が届いた朝
今日は9月22日、シルバーウィークの国民の休日です。世の中はお休みモードですが、酪農家は牛の世話があるので、川上さんは牛舎の中の仕事をしながらの配信です。
生まれた子牛の手続きや堆肥の切り返しなど、休みでも牧場の仕事は続きます。川上さんは「月末で溜まってくる事務仕事も片付けていきたい」と話しています。
そんな中で届いたのが、消費者の方からのスリック遺伝子についての質問でした。毎日の配信で遺伝改良の話を続けるうちに、リスナーの興味も広がってきたようです。
川上 ほんと消費者の方からスリック遺伝子の質問が来るとは思っていませんでした。
今年の夏も暑さが厳しく、出雲市でも35度を超える日が続きました。牛乳の量が減ったり乳成分が悪くなったりと、暑熱対策は酪農にとって差し迫った課題になっています。
お便りコーナーに届いた「毛が短くて冬は大丈夫?」
今回の質問は、サービスが終了した配信アプリ「ポポポ」から届いた、カンシンさんからのものです。
質問(カンシンさん) 牛さんについて調べていたら、暑さに強い牛としてスリックという言葉がありました。この遺伝子をホルスタインにと書いてありました。毛が短い反面、冬に適応できるのかな?虫刺されは大丈夫なのでしょうか?メリットデメリットを教えてください。
川上さんはこの質問を、暑さへの強さ、冬への影響、虫との関係という3つの論点に整理して答えていきます。
結論を先に言うと、暑さに強いイコール一年中すべてに強い、というわけではないというのが今回の一番大事なポイントです。冬には少し注意が必要で、虫については単純に刺されやすいとは言えないといいます。
そもそもスリックってどんな遺伝子?
まずスリックとは何かというと、英語では「SLICK HAIR」と書き、直訳すると「つるっとした短い毛」という意味になります。
もともとはカリブ海の暑い地域で発達したセネポール種 ── カリブ海地域で育てられてきた牛の品種。暑い環境に適応し、毛が非常に短く滑らかな被毛を持つのが特徴ですなどに見られる特徴で、毛が非常に短く滑らかな被毛になります。
よく研究されているスリックは、プロラクチン受容体遺伝子と呼ばれる遺伝子の変異によって現れます。そして面白いのが、この形質は優性遺伝だという点です。
つまり、スリックの遺伝子を1コピー持つだけでも、毛の短いスリックの見た目が現れるということです。片方の親から受け継ぐだけで特徴が出てくるわけですね。
ここで誤解しやすいのが、「ホルスタインにスリック遺伝子を入れた」と聞くと、遺伝子組み換えの牛を想像してしまう点です。でも昔から研究されてきたスリックホルスタインは、基本的にそうではありません。
1980年代から、セネポールとホルスタインを交配し、そこから何世代もホルスタインへ戻し交配することで、ホルスタインの能力を保ちながらスリックの遺伝子だけを残すという育種が行われてきました。品種改良の積み重ねなんですね。
2025年に発表された遺伝解析でも、ゲノム全体はほぼホルスタインに戻しながら、スリック周辺のセネポール由来の遺伝子を残せることが示されています。
一方で、ゲノム編集 ── 狙った遺伝子を直接書き換える技術。CRISPRなどが代表例で、交配で遺伝子を移す従来の育種とは方法が異なりますでこの耐性をつける研究もあります。2024年の研究では、アンガスやジャージーに変異を導入した個体で体温調節能力の改善が確認されました。
なので、交配でスリックを導入する話と、ゲノム編集で再現する話は別物として覚えておくとわかりやすい、と川上さんは説明しています。
なぜ暑さに強い?体温・呼吸・発汗の違い
では、なぜスリック遺伝子を持った牛は暑さに強いのでしょうか。一番わかりやすいのは、毛が短いから体の熱を逃がしやすいという点です。
でも、それだけではないようなのです。スリックホルスタインを調べた研究では、普通のホルスタインより体温上昇が小さく、呼吸数の上昇も小さく、そして発汗量が多いという違いが確認されています。
だから、普通のホルスタインの毛を短く刈ればスリック牛になる、という単純な話ではありません。遺伝的に体温調整の仕組み自体が変わっているんですね。
酪農家にとって重要なのは牛乳です。暑さのストレスが強くなると、牛は餌を食べる量が落ち、呼吸が増え、体温が上がり、乳量も落ちやすくなります。
スリックホルスタインと普通のホルスタインを比べた研究では、夏に分娩した牛の乳量低下が、スリック牛では小さくなりました。今の日本の夏には、これはかなり大きい違いだといいます。
さらに2025年には、熱帯のコスタリカの商業牧場で、スリックの遺伝子を2コピー持つ牛が、1コピーの牛よりも300日乳量で約9%多かったという報告も出ています。
ただし、これは特定の牧場の交雑牛群での結果です。2コピーにすれば日本でも乳量が9%増える、とは言えないので、ここはかなり注意が必要だと川上さんは念を押しています。
毛が短いと冬は寒い?震えが増えた子牛の研究
質問にあった「毛が短かったら冬は寒いんじゃないか」という点。実は研究者も同じ疑問を持っています。
ちょうど2026年に、面白い研究が出ています。スリックの遺伝子を持つ子牛と持たない子牛を、マイナス4.5度の環境に6時間置いて比較したものです。毛が乾いている条件と濡れている条件まで調べています。
結果はどうだったか。直腸温や皮膚温については、スリックの子牛と普通の子牛で大きな差は出ませんでした。つまり、短時間ならスリックの子牛も体温を維持できたということです。
ところが、スリックの子牛の方が震える行動が多かったのです。これはかなり重要なポイントだといいます。
体温だけ見れば大丈夫に見えますが、その体温を維持するために、より多く震えて熱を作っていた可能性があるということです。同じ寒さの中で、体温維持に余計なエネルギーを使うかもしれないわけですね。
ただし、この研究にも限界があります。調べたのは若い子牛で、マイナス4.5度、6時間、管理された環境でのことです。日本の冬のように、寒くて風が吹き、雨や雪で濡れ、それが何日も続くような条件でどうなるかまでは、まだわかっていません。
だから現時点では、スリック牛が日本の冬でも全く問題ないとも、冬は飼えないとも、どちらも言い切れない、というのが正確なところです。
毛が短いと虫に刺されやすい?意外なデータ
質問にあったもう一つ、「毛が短いから虫に刺されやすくないか」という点。感覚的にはそう思いますよね。
でも現在の研究を見る限り、スリック遺伝子だから虫刺されが増える、と言える根拠はありません。
むしろセネポール牛でダニの寄生を調べた研究では、離乳時には差がなかったものの、1歳のときにはスリックの子牛の方がダニのスコアが低かったという結果があります。
ただし、ここはかなり慎重に見る必要があります。この研究はセネポールが対象で、セネポールにはスリックの遺伝子だけでなく、長年の熱帯環境で選抜されてきた他の適応形質もあるからです。
成牛では毛のタイプとダニの寄生に明確な関係が出なかったデータもあります。だから、スリックを入れればダニにも強くなる、とまでは言えません。
逆に、毛が短くなるから虫に弱くなる、という根拠も今のところありません。ハエなどの吸血昆虫については、スリックホルスタインに限定した十分な研究がまだ少なく、「わからない」とするのが一番正解だといいます。
当然ながら、スリック牛でもハエ対策やダニ対策は必要です。
酪農家目線で見たメリットと注意点
ここで、スリック遺伝子を持つ牛のメリットを酪農家目線で整理してみます。一番大きいのは暑熱ストレスへの強さです。
・体温上昇を抑えやすい
・呼吸数も増えにくい
・発汗しやすい
・夏場の乳量低下を小さくできる可能性がある
もう一つ大きいのは、設備だけに頼らない暑熱対策になりえることです。今の酪農家は換気扇やミスト、散水装置や冷水など、いろいろな方法で牛を冷やしています。
でもこれは電気代もかかり、水も使い、設備も壊れます。そこに「牛自身が暑さに強い」という選択肢が加わるのは、かなり面白い暑熱対策だといいます。
ただし、スリック遺伝子にすれば扇風機はいらない、とは絶対に考えない方がいいそうです。
熱帯のコスタリカの研究でも、スリック牛であっても暑い環境では体温や呼吸数の上昇が残っていました。スリックは熱ストレスを完全に消すわけではないんですね。
遺伝子足す牛舎環境、これが大事だという事ですね。 ── 川上
まだわかっていないデメリットと育種の考え方
一方で、デメリットやまだわかっていない部分もあります。1つ目は、先ほど話した寒冷環境です。特に子牛が、冬に濡れて風に当たるのは普通の子牛でも危険で、スリックだとさらに保温管理を意識する必要が出てくる可能性があります。
2つ目は、スリックだけで牛を選ばないことです。乳量や乳成分、繁殖性、乳房、足の強さ、疾病への抵抗性や長生きなど、酪農家が改良したい形質は山ほどあります。
暑さに強いからといって、他の能力が悪い牛を全部残す、という話にはなりません。育種は一つの能力ではなく、牛全体を見る仕事だといいます。
3つ目は、長期のデータがまだ足りないことです。乳量や体温調整の研究は増えてきましたが、生涯の疾病、長生き、繁殖、そして日本のように夏は35度、冬はかなり寒くなる地域での一生涯の成績は、まだ研究の余地があります。
2025年の研究者自身も、健康や繁殖、生涯成績については、今後さらに検証が必要だとしています。
暑熱対策の発想を変える遺伝子
川上さんは、調べていてこう感じたそうです。スリックは、暑熱対策の考え方を変える遺伝子なのかもしれない、と。
これまでは、夏が暑くなればファンを増やそう、ミストを増やそう、屋根の資材を変えよう、水で冷やそうと、環境を牛に合わせてきました。もちろんこれからも必要です。
でもスリックは、もう一つの方向を示しています。牛自身をこれからの環境に合うように改良するという発想です。
ただ、ここで川上さんは立ち止まります。川上牧場のような環境では、夏は35度を超え、冬は風が強いために、気温は下がらなくても風の強さで牛が固まってしまうこともあるからです。
つまり、暑さだけに強ければいい牛ではない、ということです。夏も冬も越せて、乳量も出て、妊娠もして、足も丈夫で、乳房炎にもなりにくく、長く飼える。酪農家が求めているのは、そういう総合的に強い牛なんですね。
川上 なのでスリック牛に全部置き換えようと考えるのではなく、暑熱耐性という一つの育種価値を、これからの牛群改良にどう組み込むかという見方をしていきます。
これから気温が上がり、暑熱対策に使う電気や水の設備費が増えていく可能性があります。そこで牛舎を変えるだけでなく、遺伝的に暑さに強い牛を作るという選択肢も加わってきます。
もしかすると10年後、20年後には、種牛を見るときに乳量や乳脂肪、体型、繁殖、長生きといった並びに、暑熱耐性を見るのが普通になっているかもしれない、と川上さんは展望しています。
川上さん自身はスリックをどう使う?
遺伝改良が大好きだという川上さん自身は、スリックをかなり前から知っていました。海外のホームページで、スリックのホルスタインが出ていることも調べていたそうです。
ただ以前は、遺伝能力が低くて改良を遅らせてしまうのが問題でした。産乳能力や繁殖性、乳成分を下げてしまうためです。今は能力の高い牛でスリックを持つものもあり、選択肢の一つとして使ってもいいのかな、という考えです。
兵庫県の畜産試験場が早めに研究し、夏の暑さも抑えられて冬も問題ない、と報告した日本の研究もあるといいます。
ただ、川上さん自身は積極的に使っているわけではなく、いい牛がいたら使うかな、という程度の基準だそうです。その理由は、能力の高さに対する考え方にあります。
川上 100の力を出せる牛がいますよね。スリック遺伝子も100の力が出せるとします。夏場でも100の力を出せるんですけど、それよりも200、300の能力を持ったやつが夏場で100出せたら、別にそれ一緒じゃないか。
つまり、遺伝改良でものすごく能力の高い牛を作り、その牛たちを夏場に無理させないように飼う方が、生産性がいいんじゃないか、という考え方です。だから今はスリックを使っていない、というわけですね。
もちろんこれから電気代や水道代がどんどん上がったり、状況が変わったりすれば、選択肢の一つとしてありえる、というスタンスだといいます。
まとめ
今回は、消費者の方から届いた質問をきっかけに、暑さに強いスリック遺伝子のメリットと、まだわかっていない部分を整理する回でした。スリックは「暑さに無敵の牛」ではなく、暑熱に対して有利なカードを一枚持った牛。そんなふうに捉えるのが正解だと、川上さんは締めくくっています。
- スリックはセネポール由来の遺伝子で、体温上昇や呼吸数を抑え、発汗量が多く、夏場の乳量低下を小さくできる可能性がある
- 冬については、短時間なら体温を保てたものの子牛で震えが多く、寒さへの負担がゼロではない可能性が示されている
- 毛が短いから虫に刺されやすいという証拠は今のところなく、むしろダニが少なかった研究もあるが断定はできない
- スリック牛でも暑い環境では体温や呼吸数の上昇が残るため、遺伝子と牛舎環境の両方を組み合わせることが大事
- 育種は一つの能力ではなく牛全体を見る仕事で、暑熱耐性も総合的な牛群改良に組み込む一つの視点として捉える