ゲノム編集で牛を設計するなら。どんな牛?乳量?繁殖性?未来の遺伝改良
2026-09-25 配信|川上牧場 酪農データバンク
この回の要旨
川上さんの答えははっきりしていて、世界一乳量を出す牛ではなく、受胎しやすく、病気に強く、暑さに耐え、角がなく、何年も健康に牛舎にいてくれる牛を作りたい、というものでした。実現済みの技術と研究段階、そしてゲノム選抜とゲノム編集をていねいに分けながら語られた回です。
この回の要点
- ゲノム選抜は「良いカードを選ぶ」、ゲノム編集は「カードを書き換える」技術で、川上さんはこの2つを組み合わせたいと考えている
- 受胎率は遺伝率が低いが、それは改善できないという意味ではなく、大量のデータとゲノム情報で少しずつ改良できる
- 無角・スリック(暑熱耐性)・BVDV抵抗性はすでに実現や研究が進み、BLVは「抵抗性」であって「感染しない」ではない点に注意が必要
- すべてのステータスを最大化するのではなく、多少環境が悪くても崩れにくい飼いやすい牛を目指す
- 一度に全部編集せず一つずつ検定することが重要で、最も難しいのは「何をいい牛と定義するか」という問いである
配信の全文(podyの記事より)
乳量マックスの牛は作らない、その理由
この回は、リスナーの質問に川上さんが答えていくお便りコーナーが中心です。ポポポネームのかんしんさんから、ゲノム選抜やゲノム編集でどんな牛を作りたいか、という質問が届きました。
質問(かんしん) 川上さんはゲノム編集の話をしますが、ゲノム選抜、ゲノム編集にてどのような牛さんを作りたいと思いますか?そして、どのような過程で理想とする牛さんを設計されていくのですか?教えてください。
川上さんは、免許は家畜人工授精師 ── 牛などの家畜に人工授精を行うための国家資格。繁殖管理の現場で使われる専門免許ですしか持っておらずドクターではないと前置きしつつ、遺伝改良や品種改良は酪農のなかで一番好きな分野だと話します。
まず川上さんが強調したのは、乳量だけがものすごく高い牛を作りたいわけではない、という点です。
川上 乳量だけがものすごい高い牛を作りたいわけではありません。
川上さんが作りたいのは、病気になりにくく、暑さに強く、妊娠しやすく、管理しやすくて角が生えてこない、人にも牛にも扱いやすい牛だといいます。病気になってから助け続ける牛よりも、自分の力で健康に生きられる牛を目指す、というのがこの回の軸です。
「カードを選ぶ」ゲノム選抜と「カードを書き換える」ゲノム編集
川上さんはまず、質問にあったゲノム選抜とゲノム編集の違いを整理します。この2つは似ているようで全然違う、という説明です。
ゲノム選抜は、牛たちがすでに持っている遺伝的な違いのなかから、乳量が高そう、繁殖能力が高そう、病気になりにくそうといった特徴をDNA ── 生き物の設計図にあたる遺伝情報。ここに個体ごとの違いが記録されていますの情報から予測し、次の世代に残す牛を選ぶ技術です。
一方でゲノム編集は、DNAの特定の場所を狙って変更する技術だといいます。川上さんはこの違いをカードにたとえて説明しました。
川上 ゲノム選抜が手持ちのカードからいいカードを選ぶ技術だとすると、ゲノム編集はカードそのものを書き換えるという、そういう技術です。
ゲノム選抜とゲノム編集
ゲノム選抜
牛がすでに持つ遺伝的な違いから、乳量や繁殖・病気への強さをDNAで予測して残す牛を選ぶ。手持ちのカードから良いカードを選ぶイメージ
VS
ゲノム編集
DNAの特定の場所を狙って変更する。カードそのものを書き換えるイメージ
川上さんが面白いと思っているのは、この2つを組み合わせることだといいます。
受胎率を上げたい。でも「遺伝率が低い」ってどういうこと?
今の乳牛は乳量についてはものすごく遺伝改良が進んでいる、と川上さんはいいます。そのうえで、最も改良したいのが受胎率や疾病抵抗性 ── 病気にかかりにくい、あるいはかかっても悪化しにくい体質のこと。健康形質の一つですといった健康形質だと話します。
ここで出てくるのが遺伝率 ── ある集団のある環境で見られる個体差のうち、どれくらいが遺伝的な違いで説明できるかを示す統計的な数字。低いから遺伝しない、という意味ではありませんという言葉です。受胎率は遺伝率が低いとよく言われる、と川上さんは説明します。
牛のメスの繁殖形質は、多くの研究をまとめると遺伝率がおおむね0.02から0.04程度と低いと報告されているそうです。ただ、川上さんはこれを「遺伝では改善できない」という意味ではないと補足します。実際、ゲノム選抜の導入後に繁殖能力の遺伝的な改善が可能だと示されている、といいます。
さらに川上さんは、遺伝率をめぐる誤解をていねいに解きほぐします。遺伝率が10パーセントだからといって、その形質の10パーセントしか遺伝しない、という意味ではないという点です。
だからこそ川上さんがやりたいのは、遺伝率そのものを高くすることではなく、遺伝率が低くて環境の影響を強く受ける形質でも、大量のデータとゲノム情報で少しずつ改良することだといいます。
乳量40キロでは評価しない。妊娠して分娩まで見たい
受胎率について、川上さんは単に乳量が40キロ出たというだけでは牛を評価したくない、と語ります。
川上 その牛がちゃんと発情して、受精して、妊娠して、妊娠を維持して、無事に分娩して、また次の(授精)に入れるのか、ここまで見たいですよね。
繁殖能力は一つの遺伝子だけで決まる形質ではなく、多数の遺伝子と環境が関わる多因子・多遺伝子形質 ── たくさんの遺伝子と環境がまとめて影響する性質のこと。一つの遺伝子を変えれば完成、とはいかないタイプの形質ですだといいます。だから受胎率を上げる遺伝子を一つ編集すれば完成、という話ではありません。
そこで川上さんは、繁殖についてはまずゲノム選抜を徹底的に使うといいます。受胎率だけでなく、発情、受胎までの日数、受精卵の生存、流産、分娩、産後の回復まで細かくデータを取り、その牛が本当に繁殖に強かったのかという表現型を積み重ねる。これが第一段階だと話します。
角・暑さ・ウイルス、ゲノム編集が向く3つの形質
一方で、ゲノム編集と相性がいい形質もある、と川上さんは話します。その典型が無角、つまり角が生えないことです。
角のある牛は、生まれた後に除角 ── 牛の角を取り除く処置。作業者や他の牛のけがを防ぐために行われますが、牛に負担がかかりますをすることがあります。そこで、最初から角が生えない遺伝子型にできないかと研究が進んだといいます。2016年には、肉用牛などに存在する無角の遺伝子型をゲノム編集で乳牛へ導入し、角のない乳牛を作った研究が報告されているそうです。
さらに、アメリカのFDAがリスクレビュー済みとした食品用のゲノム改変動物の一覧に、角のない黒毛和種やヘアフォードといった肉用牛の品種が掲載されているといいます。川上さんは、これを乳量を増やすためというより、牛が痛い思いをする処置を減らせるかもしれない遺伝改良だと位置づけます。
もう一つ入れたいのがスリック遺伝子 ── 毛が短くなる特徴をもたらす遺伝子。もともと自然界に存在する変異で、暑さに強い牛につながる可能性がありますだといいます。毛が短くなる特徴で、暑さに強い牛を作れる可能性があるそうです。
アメリカではプロラクチン受容体遺伝子を編集し、自然界のスリック牛と同じ短毛になるゲノム編集牛が作られている、と川上さんは紹介します。FDAは2022年に最初のスリック牛のリスク評価を行い、2025年には他の品種への展開についても追加で評価しているといいます。
川上さんは、気候がさらに暑くなったとき、冷房や扇風機を増やすだけでなく、牛そのものに暑さへの適応力を持ってもらう育種がものすごく重要になると考えています。現状のスリック遺伝子は種牛の本数が少なく、近交係数を外しにくいので使いにくいけれど、ゲノム編集で増えれば使いやすくなるかもしれない、と話します。
ゲノム編集牛をめぐる主な報告
2016年
無角の遺伝子型をゲノム編集で乳牛へ導入し、角のない乳牛を作った研究が報告される
2022年
FDAが最初のスリック牛(暑さに強い短毛)のリスク評価を実施
2023年
USDAなどがBVDVに感染しにくいゲノム編集子牛「ジンジャー」を報告
2025年
FDAがスリック牛の他品種への展開について追加評価
病気を治すより、感染しにくい牛。ジンジャーの実例
川上さんが一番期待しているのが、感染症に強い牛です。病気になってから治すのではなく、そもそも感染しにくい牛を作る、という発想です。
これはもうSFだけの話ではない、と川上さんはいいます。2023年、USDAなどの研究チームがBVDV ── 牛ウイルス性下痢ウイルス。牛の重要なウイルス病の原因となりますに感染しにくいゲノム編集子牛を報告したそうです。
BVDVは牛の細胞に入るとき、CD46というタンパク質を主な受容体として利用します。研究者たちはCD46そのものをなくすのではなく、ウイルスが結合する部分の6つのアミノ酸だけを変更したといいます。
その結果、ジンジャーという子牛ではBVDVへの感受性が大幅に下がったそうです。川上さんは、研究時点では実証段階で市販用ではないと断りながらも、この考え方の面白さを語ります。
川上 今まではワクチンを打って感染牛を見つけて隔離して治療するという、病原体が入ってくることを前提にした酪農でしたが、でも将来は病原体が使う入り口そのものを変えるという防疫が出てくるかもしれない。
牛白血病BLV。「抵抗性」は「感染しない」ではない
川上さんがぜひ欲しいと語るのが、BLV ── 牛白血病ウイルス。牛白血病の原因となるウイルスです、牛白血病に強い牛です。ただしここは誤解が生まれやすいところなので、と正確さを重ねて説明します。
現時点で、BLVに完全に感染しないゲノム編集乳牛が普及している段階ではない、と川上さんはくぎを刺します。一方で、牛側の遺伝子によって感染後のプロウイルス量 ── 感染後に牛の細胞に取り込まれたウイルスの量。少ないほど発症や感染拡大が起きにくいと考えられますが低くなりやすい牛がいることはかなりわかっているそうです。
特にBOLA-DRB3という牛の免疫に関わる遺伝子で、一部のアレルを持つ牛は感染後のプロウイルス量が低い傾向を示すと報告されているといいます。ただし、抵抗性イコール絶対感染しない、ではありません。
川上さんが言う抵抗性とは、感染してもウイルス量が増えにくい、感染を広げにくい、病態の進行が違う可能性がある、といった意味です。だからBLVについては、今すぐならまずゲノム選抜を使い、免疫への悪影響がないと確認できれば将来ゲノム編集が候補になるかもしれない、という順番が科学的に自然だと話します。
全ステータスを100にしない。トレードオフという壁
ここまで聞くと、乳量も受胎率も疾病抵抗性も暑熱対策も全部マックスにすればいい、と思うかもしれません。でもそこは違う、と川上さんはいいます。生き物にはトレードオフ ── あちらを立てればこちらが立たない、という両立しにくい関係のこと。牛が使えるエネルギーは有限なので、すべてを最大化はできませんがあるからです。
牛の体が使えるエネルギーは有限で、免疫、お乳の生産、繁殖、成長、体の維持のすべてにエネルギーを配らなければいけない、と川上さんは説明します。人間も100メートルを何秒台でも走れるわけではないのと同じで、生物的な許容量がある、というたとえです。
川上 ゲームのキャラクターみたいに、全てのステータスを100にすることを目指すより、僕なら多少環境が悪くても崩れにくい牛、そういう飼いやすい牛を作っていきたい。
川上さんが目指すのは、真夏でもへこたれず、乳量が少し落ちても体を壊さず、乳房炎になりにくく、足が丈夫で、それでいて妊娠して難産までしてくれる牛です。そういう牛のほうが強い牛だといいます。
データで土台、編集は明確な形質だけ。作る順番
では実際にどういう順番で作るのか。いきなりゲノム編集を使うことはできない、と川上さんはいいます。
まず現場のデータを集めるのが出発点です。どの牛が乳房炎になったか、何回の受精で受胎したか、暑くなると採食量が落ちたか、難産まで残ったか。蹄病や繁殖障害、産期病、乳量、乳成分といったデータをDNAとつないでいくといいます。
そのうえでゲノム選抜で土台となる牛を作り、繁殖、健康、乳房、肢蹄、長命性、乳量、近交係数をバランスさせます。ゲノム編集は、原因遺伝子や変異が明確な形質だけを狙う、という順番です。
川上さんが考える牛の設計手順
1
現場データを集める
乳房炎・受胎回数・採食量・難産・蹄病・乳成分などをDNAとつなぐ
2
ゲノム選抜で土台を作る
繁殖・健康・乳房・肢蹄・長命性・乳量・近交係数をバランスさせる
3
明確な形質だけ編集
無角やスリックなど、原因遺伝子や変異がはっきりしたものだけを狙う
4
一つずつ検定する
狙った場所だけが変わったか、育つか、繁殖できるか、子に伝わるかを確認する
そして、一度に全部編集しないことも大事だと川上さんは強調します。10個の遺伝子を一気に変えてスーパー牛完成、というやり方はしない、という考えです。
一つ変更したら、本当に狙ったDNAだけが変わったのか、他の場所に予想外の変化はないか、普通に育って繁殖できるのか、牛乳は正常か、子供に正常に伝わるか、何年生きるのかまで確認するといいます。検定というのがめちゃめちゃ大事だと川上さんは語ります。
その根拠として、2016年に報告された初期の無角ゲノム編集牛の例を挙げます。後の詳細解析で、標的部位の近くに編集時に使ったプラスミド由来のDNAが意図せず組み込まれていたことが分かったそうです。
川上さんは、これをゲノム編集は危険だという単純な話にはせず、狙った場所だけを検査して安心してはいけないという教訓だと受け止めます。技術が進歩すれば、検査技術も一緒に進歩しなければいけない、という指摘です。
「乳量ランキング」から「どう生きたか」で選ぶ牛へ
川上さんが一番面白いと思う未来は、牛を乳量ランキングで選ぶ世界から、一生涯どう生きたかで選ぶ世界へ変えることだといいます。
何キロ出したかではなく、何回病気をしたか、何回治療したか、何回受精したか、難産したか、暑い日にどれだけ採食量を維持したか、どれだけ薬を使わずに済んだか、何歳まで健康にいたか。そうしたデータを集め、AIとゲノム解析で評価するイメージです。
牛の評価軸の転換
BEFORE
乳量ランキングで牛を選ぶ。何キロ出したかで評価する
↓
AFTER
一生涯どう生きたかで選ぶ。病気の回数・受精回数・薬の少なさ・健康寿命をAIとゲノム解析で評価する
川上さんは、無角牛やスリック牛はすでにゲノム編集で作られて販売もされていて、BVDVに感染しにくい牛も研究で誕生していると振り返ります。黒毛和牛では宮崎県で白血病に抵抗性のある牛が出てきているそうです。
そのうえで、酪農家は牛をどう改良できるかだけでなく、どんな牛を未来に残したいのかを考えなければいけない時代に入りつつある、と川上さんはいいます。
ゲノム編集で一番難しいのは、DNAを書き換える技術そのものではなく、もしかすると何をいい牛と定義するか、それなのかもしれません。 ── 川上
日本はまだ未認可。理解が進むかどうかが分かれ道
最後に川上さんは、ゲノム選抜もゲノム編集も日本ではまだ認可されておらず、消費者の理解がないと進まない、と現状を語ります。わからないことがあれば質問してほしい、と呼びかけます。
川上さんは、近隣の国では倫理観の違う形でゲノム編集やクローンが使われ、乳量が平均2万キロ出るような牛や、特定のウイルスに抵抗性のある牛が生まれていると触れます。世界各国がそういう牛を作り始めれば、日本だけ止めるのは難しいという見方です。
だからこそ川上さんは、正しい判断のために正確な情報を理解してほしいと語ります。自身は新しい技術をどんどん取り入れ、間違ったら修正して前進する姿勢を続けたいと締めくくりました。
まとめ
川上さんの答えははっきりしていて、世界一乳量を出す牛ではなく、受胎しやすく、病気に強く、暑さに耐え、角がなく、何年も健康に牛舎にいてくれる牛を作りたい、というものでした。実現済みの技術と研究段階、そしてゲノム選抜とゲノム編集をていねいに分けながら語られた回です。
- ゲノム選抜は「良いカードを選ぶ」、ゲノム編集は「カードを書き換える」技術で、川上さんはこの2つを組み合わせたいと考えている
- 受胎率は遺伝率が低いが、それは改善できないという意味ではなく、大量のデータとゲノム情報で少しずつ改良できる
- 無角・スリック(暑熱耐性)・BVDV抵抗性はすでに実現や研究が進み、BLVは「抵抗性」であって「感染しない」ではない点に注意が必要
- すべてのステータスを最大化するのではなく、多少環境が悪くても崩れにくい飼いやすい牛を目指す
- 一度に全部編集せず一つずつ検定することが重要で、最も難しいのは「何をいい牛と定義するか」という問いである