牛の幸せの変遷:過去・現在・未来の酪農のかたち

2025-02-18 配信|川上牧場 酪農データバンク

この回の要旨

今回は、川上さんが参加したシンポジウムをきっかけに、AIと一緒に「牛と人の幸せ」を過去・現在・未来とたどる回でした。歴史を踏まえたうえで、これからどんな酪農を作るかを一緒に考えたい、という呼びかけが印象的です。

この回の要点

  • 牛の幸せは宗教・倫理から始まり、1789年のベンサムの主張で「動物福祉」という概念が生まれた
  • 1979年に確立された「五つの自由」が、現代のアニマルウェルフェアの土台になっている
  • テンプル・グランディンは動物の視点で牛の幸せを6項目に整理し、畜産の現場に大きな影響を与えた
  • 未来の畜産はAI・アニマルウェルフェア・持続可能性の融合で描かれ、消費者が選べる時代が構想されている
  • AIが管理する幸せは本当の幸せか、人がいない方が牛は幸せか、という問いが残された

配信の全文(podyの記事より)

シンポジウム「牛と人の幸せ」で気づいた前提のズレ

今回の放送は、川上さんが先日参加したオンラインのシンポジウムがきっかけです。フードグループジャパンが後援したZOOMのセミナーで、テーマは「牛と人の幸せ」でした。

参加したのは酪農家だけでなく、消費者の方も一緒だったそうです。約1時間半、みんなで牛と人の幸せについて話し合う会だったといいます。

川上さんが感想として挙げたのが、「牛の幸せ」や「人の幸せ」はもう何百年も前から議論されていて、その積み重ねで今の法律やルールができている、という点です。

川上 牛の幸せとか人の幸せっていうのはもうすでに、何百年も前から話されていて、それに基づいて法律とかルールができているので、現代はそれに即した努力をしながら畜産酪農が営まれているんです。

一方で、その大前提を知らない参加者も多かったといいます。川上さんは、まずその大前提の部分を共有したうえで、未来の話をしたいと考えたそうです。

アニマルウェルフェア 動物が心身ともに健康で、その動物本来の行動ができる状態を目指す考え方。「動物福祉」と訳されます。飼育環境や取り扱い方を見直すことで、家畜のストレスを減らそうとするものです。

そこでこの回では、AIと一緒に「牛の幸せとは何か」を、歴史・哲学・未来という順番で考えていきます。牛舎からの配信なので、途中で牛の鳴き声も入ってきます。

紀元前から中世まで、牛は「もの」だった時代

まず川上さんは、牛の幸せの歴史を紀元前からたどります。始まりは宗教・倫理的な視点でした。

紀元前3000年ごろ、インドのヒンドゥー教で牛が神聖視され、不殺生の考えが根付いたといいます。ヴェーダ聖典に残るこの考えが、今のインドの牛保護政策の基礎になっているそうです。

ヴェーダ聖典 古代インドで生まれたヒンドゥー教の根本的な聖典群のこと。宗教儀式や賛歌などが記されており、インドの文化や思想の土台になっています。

一方、古代エジプトやギリシャ、ローマでは、牛は農業や宗教儀式で重要な存在でしたが、労働力や食肉として使われ、ウェルフェアという概念はなかったといいます。

中世ヨーロッパでは、キリスト教の影響で家畜は「人間の管理下にあるもの」とされ、動物の権利という発想はまだ未発達でした。

川上さんは、この時代は動物だけでなく人も「もの」として扱われていた面があると指摘します。奴隷が人ではなくものとして定義されていたような時代だったといいます。

牛の幸せをめぐる歴史の流れ

紀元前3000年ごろ

インドで牛が神聖視され、不殺生の考えが根付く

古代〜中世

牛は労働力・食肉として利用され、福祉の概念はなかった

16〜18世紀

啓蒙思想で動物の苦しみを減らすべきという考えが登場

19〜20世紀

動物福祉が法制化され、五つの自由が確立

2000年代

国際機関やEU、米国の州で福祉の基準や法が整う

動物福祉という言葉が生まれた瞬間

16世紀から18世紀になると、イギリスの啓蒙思想の影響で「動物の苦しみを減らすべき」という考えが登場します。

転機は1789年です。イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムが「人間と動物の痛みは同じである」と主張し、ここから動物福祉という言葉の概念が誕生したといいます。

ジェレミー・ベンサム 18〜19世紀イギリスの哲学者。「最大多数の最大幸福」を唱えた功利主義で知られます。動物の苦痛にも道徳的な配慮が必要だと考えたことで、後の動物福祉の議論に影響を与えました。

19世紀から20世紀にかけては、動物福祉が法制化されていきます。イギリスでは1822年に家畜虐待防止法が成立し、史上初の動物保護法ができました。

1824年には世界初の動物愛護団体RSPCAが設立され、動物虐待の監視や告発を行うようになります。アメリカでも1866年にASPCA(アメリカ動物虐待防止協会)が設立されました。

「五つの自由」が現代の土台になった

20世紀に入り工業化が進むと、集約畜産で大規模な牛舎での飼育が一般化し、動物福祉の問題が深刻化していきます。

1964年にはイギリスのブルーム報告書で動物福祉の基本原則が提唱されます。川上さんは、これは現代でもほとんどの酪農家がよく知っているものだといいます。

そして1979年、動物福祉の基本となる「五つの自由」が確立されました。これは現代のアニマルウェルフェアにも書かれている考え方です。

動物福祉の「五つの自由」

飢え・乾きからの自由

不快からの自由

痛み・病気からの自由

本来の行動の自由

恐怖・苦痛からの自由

2000年代になると、国際機関のOIE(世界動物保健機関)が2008年に動物福祉のガイドラインを制定し、2019年には牛の福祉に関する基準を発表します。

EUでは1997年のアムステルダム条約で動物を「感受性のある存在」とし、2009年のリスボン条約で福祉を法的に強化しました。アメリカのカリフォルニア州でも、飼育スペースの拡大を義務化する法ができています。

動物福祉で日本は遅れている?

一方で川上さんは、日本の動物福祉は世界的にとても遅れていると話します。

日本では1973年に動物愛護管理法が制定されましたが、畜産動物の扱いは限定的でした。当時は虎が個人で所有できて、飼い主が襲われるようなニュースがあった時代だといいます。

その後、2020年に改正動物愛護管理法ができ、畜産業にも動物福祉を考慮する動きが強まってきたそうです。ここまでが、世界と日本の動物福祉の歴史のまとめでした。

テンプル・グランディンが考える牛の幸せ6項目

続いて川上さんが、現代の動物福祉の第一人者として紹介したのがテンプル・グランディンさんです。

テンプル・グランディン 自閉症の当事者でありながら動物学者・畜産のコンサルタントとして活躍する人物。動物の視点に立った家畜の取り扱い施設の設計で知られ、その著書も広く読まれています。

川上さんによると、アメリカにある屠殺場の90パーセント以上は、このテンプル・グランディンさんが設計したと言われているほど偉大な方だそうです。日本でも彼女が考えた保定の手法などが使われているといいます。

そのテンプル・グランディンさんが考える「牛の幸せ」を、川上さんはAIにまとめてもらいました。ポイントは6項目にわたります。

テンプル・グランディンが考える牛の幸せ6項目

用語

恐怖やストレスがないこと

牛は予測不能なことを恐れる。大きな音や急な動きが最大のストレスになる

用語

身体的な快適さ

床面の状態、飼育密度、温度管理が重要になる

用語

本来の行動ができること

群れで暮らし、自由に歩き、反芻できることが大切

用語

適切な食事と水

急な食事の変化や低品質な餌はストレスの要因になる

用語

健康的な生活

怪我や病気が防がれ、適切な治療が施される環境が必須

用語

人との適切な関係

良い扱いを受けると穏やかになり、粗暴な扱いは生産性も下げる

川上さんが特に注目するのは、テンプル・グランディンさんが自閉症を持ちながら、動物の意識で物事を捉えられるという点です。

川上 言葉で喋ると、そんなことあるわけねえじゃんって思ったりするんですけど、書籍や活動を見ていると、そういう観点で見ることができるんだなっていうのがわかる。影響力もものすごいので、ぜひ読んでみてほしいですね。

快楽と生きがい、哲学から見る牛の幸せ

次に川上さんは、牛の幸せを哲学的な視点からAIに考えてもらいました。ここで出てきたのが、2つの幸福のバランスです。

1つは「快楽主義的幸福(ヘドニウム)」で、心地よさのことです。現代の酪農では、デバイスが牛の体調不良を事前に察知して快適な環境を整えることが、これにあたるといいます。

もう1つは「生存的幸福(エウダイモニア)」で、生きがいのことです。牛が本来の行動を行い、自然と調和することを指します。

エウダイモニア 古代ギリシャ哲学の言葉で、単なる快楽ではなく、その人(や存在)が持つ力を十分に発揮して生きることによる幸福を指します。「善く生きること」に近い意味合いです。

川上さんは、真の牛の幸福とは快適な環境だけでなく、生きがいのある生活を保証することだとまとめます。これは現代の技術があるからこそ生まれた観点ではないか、と話しています。

AIが描く未来の畜産シミュレーション

ここから川上さんは、今ある技術や研究をすべて踏まえて、未来の畜産をAIにシミュレーションしてもらいます。テーマは「牛と人の幸せ」なので、人の幸せもここから入ってきます。

まず出てきたのが、AIとロボティクスでストレスゼロの環境を実現するというものです。ウェアラブルデバイスで牛の感情をリアルタイムに解析し、温度・湿度・光・音を自動で最適化します。

さらに、完全無人のストレスフリーな牛舎の構想も出てきました。牛が好きな環境を選べる「ウェルフェアカフェテリア」という新しい言葉も生まれています。

AIが牛のストレスや健康、行動を総合的に評価して農場全体の幸福度を数値化し、ウェルフェア認証制度を導入していくという案も挙がりました。

AIが描く未来の畜産の姿

個体データの収集

ウェアラブルデバイスで牛の感情や健康をリアルタイム解析

↓

環境の自動最適化

温度・湿度・光・音を自動調整し、牛が環境を選べるように

↓

幸福度の数値化

ストレスや健康を総合評価し、農場の幸福度をスコア化

↓

消費者への可視化

ウェルフェアスコア付きの商品を消費者が選べる時代へ

飼料も環境も、産業ごと未来へ

未来の話は牛だけにとどまりません。関わる産業も、テクノロジーを使って牛に合わせていくという構想が出てきます。

たとえば飼料です。AIが個体の遺伝情報と体調を分析して、カスタマイズ飼料を自動配合します。海藻や昆虫プロテイン、発酵飼料でメタン排出を80パーセント削減する案も挙がりました。

環境面では、牛の排泄物をエネルギー化するバイオガス発電や、メタン低減ワクチンで温室効果ガスを最小限にする、カーボンニュートラル畜産が描かれています。

カーボンニュートラル 温室効果ガスの排出量と吸収・除去量を差し引きゼロにすること。畜産では牛のゲップに含まれるメタンなどが課題とされ、排出を減らす技術が研究されています。

消費者目線の提案もありました。牛乳パックに「ウェルフェアスコア90パーセント」といった表示がつき、消費者が選べる時代へ、というものです。

さらに、培養肉やプラントベース食品と酪農の共存も模索されます。川上さんは、培養技術を使えば牛にかかるコストや負担、環境負荷を下げてリスク分散できる面もあると話しています。

未来の畜産はAI、アニマルウェルフェア、持続可能性の融合で実現していく。 ── 川上

議論より、これから何を作るか

これらをまとめて、川上さんは今回のシンポジウムで感じたことを話します。実際に牛を飼う酪農家は、日々牛を幸せに飼おうと努力しているといいます。

そのうえで、すでに議論し尽くされて法律やルールになっている部分は前提にしよう、というのが川上さんの考えです。

川上 「牛ってこうやったら幸せだよね」とか、そういうのじゃなくて、ちゃんとした技術に基づいて、そこは踏まえて。

川上 今後どういう未来を作っていくのか、どういう酪農なら消費者が理解して、誰もが牛も人も幸せになれるのかっていうのを考えながら、先の話ができたらいいなと思ったシンポジウムでした。

AIとのやり取りは全文をnoteにまとめているそうです。概要欄にリンクを貼っておくので、ぜひ見てほしいと呼びかけていました。

コメント欄で深まる「本当の幸せ」の話

ここから川上さんはコメント欄のやり取りに戻ります。ベンサムの1789年がフランス革命の頃だという指摘に、川上さんも反応します。

資本を持った国がようやく動物福祉に目を向ける、というコメントに、川上さんは「いい観点」と応じます。哲学も食糧に困らない暇な人が考え始めてから生まれたものだといいます。

だからこそ、まずやるべきことは牛乳の需給調整だと川上さんは強調します。酪農家が再生産・再投資できる入荷がめちゃめちゃ大事だという考えです。

さらに川上さんは、動物福祉には別の側面もあると指摘します。ヨーロッパのウェルフェアには、自国の乳製品を海外に有利に売りたいという観点もゼロではないといいます。

CO2削減の動きも同じで、ヨーロッパの自動車が売れないからハイブリッド車や電気自動車を売りたい、という思想もゼロではないと話します。ウェルフェアが商売に使われる面もある、というわけです。

人がいない方が牛は幸せ?というモヤモヤ

コメントをきっかけに、川上さんは自身が抱えるモヤモヤも語ります。話題にしたのは、トヨタが構想するスマートシティです。

そこではAIが人間を幸福にする街が構想されているそうです。川上さんは、AIが管理する中で暮らす人間は本当に幸せなのか、と疑問を投げかけます。

川上 それって牛と人間の、この家畜で飼われてる構造と何か似てるなとか思いながら、ちょっとモヤモヤしながら考えていますね、僕は。

同じことは牛にも言えます。人が介入することがストレスの原因になるなら、人がいない方が牛は幸せなのか、という問いです。

川上 人がいない方が牛が幸せなんじゃないかということで、AIやデバイスで管理する。じゃあそれって本当に牛の幸せなのかっていう。

休館で人が来ないと体調を崩したマンボウのニュースを引いて、牛もそうなのかというコメントも寄せられました。川上さんは、牛は餌が欲しくて鳴くこともあり、性格もそれぞれだと答えます。

最近はカウリンガルのように、牛の行動が何を意味するかがわかる技術も出てきているそうです。それを踏まえて、また一緒に考えていけたらいいと川上さんは締めくくりました。

まとめ

今回は、川上さんが参加したシンポジウムをきっかけに、AIと一緒に「牛と人の幸せ」を過去・現在・未来とたどる回でした。歴史を踏まえたうえで、これからどんな酪農を作るかを一緒に考えたい、という呼びかけが印象的です。

  • 牛の幸せは宗教・倫理から始まり、1789年のベンサムの主張で「動物福祉」という概念が生まれた
  • 1979年に確立された「五つの自由」が、現代のアニマルウェルフェアの土台になっている
  • テンプル・グランディンは動物の視点で牛の幸せを6項目に整理し、畜産の現場に大きな影響を与えた
  • 未来の畜産はAI・アニマルウェルフェア・持続可能性の融合で描かれ、消費者が選べる時代が構想されている
  • AIが管理する幸せは本当の幸せか、人がいない方が牛は幸せか、という問いが残された